あきらめる
「あきらめる」という言葉があります。
『現状を明らかに見ること』を「あきらめる」というのです。
マイナスの要素を持つ悪い言葉のように聞こえます。
しかし、「あきらめる」の語源は、『あきらかに見る』です。
『現状を明らかに見ること』を「あきらめる」というのです。
例えば、営業をしている人の場合、
ずっと訪問している企業に需要があるのかないのかを見極められないのは、
明らかに見ていない証拠なのです。
需要がないということが分かったら、もう訪問してはいけないのです。
きちんと見ている人間は、潔くあきらめます。
だけどよく見ていないから、どうにかなるのではないかと考えるわけです。
もちろん、きちんと見ずに、力を尽くさずに、あきらめてはいけません。
そこが、私のいう「あきらめる」と「あきらめてはいけない」の違いです。
「あきらめる」という語源を知れば、私の話していることがご理解いただけると思います。
人間には、自分で自由になるものと自由にならないものがあります。
あきらめることとあきらめてはいけないことを、
自分で自由になるものと自由にならないものとを、きちんと分けるわけです。
そして、自分ができることは何かを見極め、どのようにするのかを考えることが正しく、
自分が自由にならないことを考えていてもいけません。
まだ見もせずにしないことをあきらめるな、というのです。
すべての業務に対して、そして自分自身に対しても、
あきらめるということを知ってほしいと思います。